キネマ備忘録

映画「批評」というより思いつきの備忘録です。作品ごとに点数化。

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 (監督:ラリー・チャールズ) 80点

 

 

 

 バロンコーエンの映画は一度観るべき、といろいろな人に勧められ、これまでなんとなく(というか以下の理由で)敬遠していたのだが、まあブログも始めたことだし・・と、借りてみる。アカデミーも獲ってるしね。それから、最近ちょっとウツ気味で、なんとなくコメディで一発笑いたかった気分ということもある。

 そして。

 見始めた瞬間から、「参ったな・・」と思った。

 話の筋は、主役のバロンコーエンがカザフスタンの架空のテレビレポーター「ボラット」なる人物に扮し(バロンコーエン自身はユダヤ系イギリス人なのだが)、福祉や経済、文化について学びそれをレポートするためにアメリカへ向かうが、そこで「異文化人」であることを隠れ蓑にアメリカ中のあらゆる場所でむちゃくちゃな騒動を起こすというもの。

 「参ったな・・」というのは、冒頭からカザフスタンの農民に「こいつは村のレイプ魔」と言ってみたり、あからさまな女性差別、ユダヤ人差別発言のオンパレードが続いたり、黒人に対しては「チョコレート色の顔!それもノーメイク!」などという場面が連続するからだ。

・・・まあ、アメリカで”過激”を標榜するコメディ(サウスパークのようなアニメも含む)ではこういったギャグはもう朝飯前という感覚になってしまっているので、もうしょうがないといえばしょうがないんだけれども(また、バロンコーエン自身がユダヤ人であるというギャグのベースは承知しているつもりなんだが)、どうも私はある種のレイシズムを利用したジョークにはその凄惨な歴史的背景を想いなかなか笑えないタチなので、むしろムクムクと嫌悪感が沸きあがってきたのである。

 しかし、後半へ行くにつれて、このきわめて常識はずれなボラットというキャラクターは、相変わらずフルチンで暴れまわったり見知らぬ女性にトイレでのケツの拭き方を教わったりしながらも、あくまで物語の文脈の中で(驚いたことにこの荒唐無稽なコメディにはちゃんとした冒険譚としてのストーリー性が用意されている)、キリスト教原理主義者の集会に参加し、いかにも奇妙な教義をベースにした狂気的な祈祷を強制されたり、保守主義者たちの集まるロデオボーイの大会では「イラクの人民を抹殺せよ」とスピーチをして拍手喝さいを浴びたり・・、要は、「マナー」というものさしで測ればおよそ社会に適合していないボラットが、アメリカの一部の集団の中に入ると、むしろ彼以外の大衆の方が異常性を帯びているのではないか、しかもそれはフリチンでパーティーに乱入するなどという上辺の珍妙さよりももっと根本的で恐ろしい問題を内包しているのではないかと思わせてくれるのである。ほんの一瞬だが。

 この一瞬を通過してようやく私は、ああこれは彼なりの社会ドラマなのだと安心を与えてもらい、そこから笑いがどんどんこみあげてきた。カザフスタン人に対して無用の偏見を与えるだけの映画でしかないなら(それでも実際カザフスタン政府からかなり厳重なクレームを受けたようだが)、そんな映画は評価に値もしないと思うけれども、私はこの彼の社会性の一点で、辛うじてこの映画を「過剰だけど気楽なコメディ」としてとらえることができたのだ。その挙句、最後のパメラ・アンダーソンを袋でくるんでしまうシーンなどはもはやボラットの「一味」に心境がなってしまっていて、「おうおう心底惚れた女なんだ、やれやれ!」などと大笑いしながら応援してしまったものである。

 今作に高い点数を与えたのは、撮影中おそらく何度も警察沙汰になったであろうバロンコーエンの体を張った(ギャグ)演技への敬意と、どこまで演出としてなのかわからないが、半ドキュメンタリーとしては極めて巧みなディティールと、物語運びの上手さへの称賛である。それはたとえば、私は冒頭のホテルのシーンでボラットがエレベーター内を客室と勘違いして荷物を広げようとするので真面目そうなホテルマンにたしなめられるところで爆笑してしまったが、これはホテルマンがバロンコーエンがコメディアンであるということを知らないとからこそ生まれたやり取りの面白味だろう。一方で、冒頭のユーモア教室で「Not!(なんてね!)」というギャグを教えてもらうくだりは、(もしこれが完全なアドリブとしたら)バロンコーエンの素人遣いの巧さによってテンポの良さが生み出されているのだろうし、この「Not」は終盤のあるシーンで上手に生かされてもいる。このあたりは映画の「演出」としてのうまさなのである。

そんなわけでなんだか愛憎入り混じった映画だったが、とにかくこれだけ笑ってしまった罪悪感含め、この点数で後悔は、ない。