キネマ備忘録

映画「批評」というより思いつきの備忘録です。作品ごとに点数化。

シンゴジラ(監督:庵野秀明)80点 ※追記

今週のお題「映画の夏」

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惜しい!惜しすぎる!

 

見終わったときの感想だ。

原因はたった一つ、石原さとみだ。

はてブでは↓のトップコメントのような意見も散見されるが、
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・・こんな擁護の仕方しちゃダメだろう。笑

もう映画評としての石原さとみ論じゃなくて、石原さとみファンとしての援護弾にしかなってない。

アメリカの大統領候補になることが囁かれているという、ちょっと笑っちゃうくらいの設定を与えてしまっているのに、日本語より英語の方がヘタクソとはどういうことなのか。

色々なレビューを見ていても、作中の石原さとみの英語について触れているものは多く、「日本人としては頑張った方」とか言ってるけども、それは違う。この役には日本語と英語のレベルが最低でも同程度に操れる役者を当てねばならなかった。きょうびそんな女優はいくらでもいたはずだ。英会話教室がスポンサーになって仕事の合間に勉強してる程度の英語力じゃ全然駄目なのである。

これでは、非常に重要なキーパーソンへの「なんだこいつは??」という苛立ちと違和感を拭えないままラストシーンへ観客を突入させることになってしまう(それでも「あの」ラストシーンだったからその直前の鬱陶しい石原さとみのシーンを忘れられたが)。

言っておきたいが、これは「帰国子女的なウザいキャラが表現できててよかった」とか、そんなレベルの話でもない。

たとえばある人物を日本人という設定にしながら日本語のできない外国人を用いて無理やり日本語を喋らせる映画があったとしたら、しかもそれが物語の鍵を握る人物とされていたら、まず、「このキャラクターは日本人なのになぜ日本語が不自由なのだろう」と余計な推測を観客に強いるだろう。そしてその答えが作中で示唆されなければ、作り手のキャスティング能力を疑い、次にその役者を起用した背景事情を勘ぐりたくなり、ひいては作品全体の評価に影響を与えざるを得ないだろう。

つまり、観賞におけるすごく邪魔なノイズになるということだ。

作品についてはすでに絶賛コメントが溢れているように、庵野監督の想いが凝縮され、ゴジラの造形、撮り方、ラストシーンなど、美しいまでの畏怖を与えてくれる極上の「災害映画」に仕上がっている。

なのに、なのに・・、まるでとびきり上等のスープを飲み終えて皿の底を覗いたら、誰かの睫毛が1本入っていたかのような苦々しさを抱えたまま劇場をあとにすることになってしまった。

誰の提案(圧力?)でこうなったかは知らないが、本当に残念で悔やまれる。

それでもこの点数というのはほとんど最高点に近い。しかし、こんな石原さとみの作中の露出時間があまりに多かったおかげで、減点幅も大きかった。

※追記

Youtubeにシンゴジラ出演者のインタビューが上がってたが、石原さとみ曰く、「なにがなんでも出たいと思ってマネージャーに何度もラインしてた」そうだ。「決まったときは叫びました」なんつってるが、おいおい、本人からのアプローチだったのか。ボクが叫びたいよ。たぶんそのあと事務所が頑張ってフォローして出演が実現したというわけだろう。本当に日本映画の現状、泣けてくる。石原さとみファンになんと言われようとも、だ。